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※修正 皆様ご指摘ありがとうございます。1:20 字幕:野村克也選手の三冠王獲得年は×1964→〇19651:28 字幕:×1964→196512:25 13:22 読み上げ:×にほんハム→〇にっぽんハム15:03 字幕:山内和宏と山内孝徳の通算勝敗数が入れ替わっていました。 正しくは山内和宏 97勝111敗 山内孝徳 100勝125敗 でした。15:35 字幕:河埜敬幸は巨人河埜の弟さんでした。13:10 字幕:順位変動グラフ 順位に一部間違いがありました。 1982年×5位→〇6位、1984年×6位→〇5位、1985~1986年連続5位→連続6位
山内孝徳の通算成績100勝125敗5Sです。
【南海】・食費1日500円支給。マックに並んで空腹を満たす選手たち・暖房設備がなくて火鉢で暖を取る・アキレス腱を切った門田が担架がないので戸板を外して運ばれる・タイトル取ったのになぜか年俸ダウン・改修もされず設備が汚すぎて悪臭立ち込める選手寮【ダイエー】・ケータリングにおにぎりとかサンドイッチが出る・設備がきれいになる【ソフトバンク】・スタッフや選手一人につきスマホとタブレットが支給される・専用アプリで各球団の選手データが見れる・設備がきれい・プールやトレーニング施設も付いている総工費60億円の選手寮
追加亡くなった久保寺が契約更改前だからということを理由に死亡弔慰金をケチろうとした
なんばパークスへのノムさんの展示を強く推進したのが、エモやんだったというのがちょっと泣けるんだよな。何だかんだ悪口や憎まれ口を言っても南海時代を忘れてなかったんだなと。
巨人でいう所の王・長嶋レベルの人やからな。ノム。約20年スタメンで、監督兼捕手もやっていたのに何にも展示されない、存在も無かった事になるのは、やっぱりおかしいよ。エモはそこが許せなかったのだろう。
なんばパークス開業前々年に沙知代氏の脱税による逮捕を受けてタイガーズ監督辞任してたから、当時はその影響で消されてたのかと思ってた……まぁ自分の感覚からしたらタイガーズのユニホームの方がどうしても先に来てしまう
死後、神格化されている野村氏は間違い無く野球人としては偉人の一人だと思うが、最愛の妻が自らの最大の汚点であったり、プロでありながら息子への特別待遇を最後までやめなかったりと、沙知代氏・家族絡みの犯罪行為と公私混同は目に余る野球人生でもあった。結局、南海追放処分から最後の球団楽天までこの部分に関して襟を正したり、己を省みる事がなかったというのがあらためて分かる。
@@ゴンベエ-c1l エモい話ですな
確かに、江本孟紀さんの活躍させた契機が、故・野村克也さんとは。😮
大阪球場最後の試合後、杉浦監督の淡々とした口調での、行ってまいります、は今思い出しても泣ける。
鶴岡御大が杉浦ばかり可愛がって、三冠王取った野村に冷淡だったのも南海崩壊の一因。その後、理解者の蔭山さんがいなくなって野村闇落ち
江本はいろいろと賛否両論あるとは思うけど、南海時代のノムさんの栄光をここに残すために動いたのは間違いなく素晴らしい
俺もそう思う、エモやんは良いやつ
同感です。私個人は江本氏にはイマイチ好感は持てませんが、この事と独立リーグのチームへの関わりは素晴らしいと思います。
ノムさんが前妻と鶴岡の家に正月のあいさつに行ったら男物の靴がいっぱいあって、中でチームメイトが宴会をやっている声が聞こえたから、挨拶の後に鶴岡が「上がってメシくってけ」って言われると思って待ってたら「どうした?帰っていいぞ」って言われてしまって、妻とともに気まずい空気のまま帰った話は胸糞
南海の低迷や消滅の最大の要因は「ノムさんを解任したから」という声が多いだろうが、結局南海本社の杜撰さと金欠が最大の要因だった…
もっと根本的なところだよね
他の関西の私鉄が、大都市同士を結んでいるのに対して、南海は和歌山。どうしても見劣りする。
@@MrTamoya 徳島連絡と高野山輸送も担ってましたけどね。それでも京阪神輸送と名阪間輸送、伊勢志摩への観光輸送には敵わないですね…
@@MrTamoya 南海は事故の多さでも有名だったもんね…
@@MrTamoya 大阪球場への電車利用が南海より御堂筋線のほうが多かったって聞いたことある関空もなかった頃の南大阪、和歌山は、どローカルやったし阪神みたいに観客いっぱい、そして皆阪神電車を利用するっていう好循環が生まれんかった
南海の暗黒時代何となく好きだった。カープファンだけどたまに南海帽かぶってた。バナザードや佐々木誠とかいい選手いたし、カープは同じ貧乏球団ながら黄金時代を迎え南海との選手トレードも割と会った気がする。
水島先生の人気漫画「あぶさん」で南海ホークスを見ていました。現実の暗黒南海ホークスは勝てないだけでなく人気も悲しいほどありませんでした。門田選手だけが浮いているような時代でスタンドはガラガラ、テレビ中継もなくオールスターにも2人ぐらいしか出でいませんでした。今のホークス、今のパリーグの人気が嘘のような時代でした。
大変勉強になりました。ホークスに限らず、年代により球団の親会社の業種がその時期に勢い有るような業種に移り変わるのは興味深いです。
自分がプロ野球を見始めた80年代には南海の弱さは阪神の暗黒時代並みかそれ以上に弱かった。当時はFAも無かったから一度弱くなるとチームを立て直すのは難しかった。まぁFAがあったとしてもお金のない南海が選手を獲得する事はしなかっただろうけど。
水島新司「僕は常々球団経営に熱意のない会社は球界から去って欲しいと思っていましたから、今回の身売りには大賛成です」
確か水島新司とビートたけしが共同出資してホークスを買い取るって話があったんだよなw水島御大曰く『買えない金額ではなかった』
水島新司が南海ホークスファンで南海ホークス選手が主人公のあぶさんを書いたが主人公の影浦選手が1973年の入団から2009年の引退まで選手としてリアルタイムに書かれて居て南海ホークスの暗黒時代が書かれて居るのでホークスでは数少ない球団史になって居る。
あぶさんが連載終了するまではダイエー ~ソフトバンクはあぶさんの90番はずっと欠番にしてましたね。漫画のキャラクターの番号を欠番にするなんて、世界的に見ても例が無い。ホークスの名前も変えてないし、たった2年で名前変えてしまったオリックスとは大違い。
江夏の21球は私はテレビで生中継をみてました。私は幸せ者ですね。
ホークス、福岡に移転しましたが、いまとなってはそのおかげで合併を免れてホークスとして続いているので、ブレーブスファンとしては少し羨ましくなります。
蔭山さんはなぁ・・・南海自体が引き留めるならしっかりサポートしないと。。事実上、うつ病からの自殺だもん。野村さんが捻くれる理由の一つであり、悲劇だった。もし、ご存命だったら、ノムさんと二人三脚で采配振るって居たんじゃないかと思うとホント切なくなる・・・。
鶴岡監督が在任中に、蔭山さんに後任を任せる旨の話を本人にしていなかったのは失策だったと思います。話す時間は沢山あった筈なのに、それを怠っていたのは謎です。引継ぎをきちんとせずに南海というチームを放り出したのは、やや自分勝手な判断だったと思わずにはいられません。
鶴岡監督の通算勝率.609は凄い。あのV9時代の巨人を率いた川上監督ですら.591だから、それを上回っている。強いて言うなら、森監督の西武時代限定なら.644だから、遥かに上でこちらは今後抜くことはほぼ不可能じゃないか。けれど、森監督は横浜時代が弱すぎて大きく足を引っ張り、それと合算すると.574まで下がる。
漫画「あぶさん」が、最大の出典でしょう。
叔父さんと話していて「南海弱かった」と言ったら向きになって反論された、そりゃ時代が違うとすぐに分かったが😢大阪球場の暗い便所で💩したのはよい思い出。ノムさんの展示物を見に行きたいが、なんばパークスの上までの行き方が未だによく分からない。
ホビージャパンの「熱闘12球団ペナントレース」で、南海使いでした。1983年から1989年までの7年間、まさしくこの暗黒時代のオーナーでしたwでも、門田や久保寺、高柳やナイマンなど、味のあるメンバーが揃っておりまた、その弱さゆえに愛着のあるチームでした。お陰で、今の強豪ソフトバンクの方が違和感があるくらいですw
南海が弱くなったのは鶴岡さんを慕う子分達が原因だよ鶴岡さんが退任したら蔭山さん、ノムさんに協力しないしノムさんが監督在任中はことある事に反発して邪魔してきてそれで邪魔だったノムさんを追い出して何人か監督をやったけど野球に対して何も考え無しだったのと南海球団が出資しなかったから何も出来ないまま球団売却せめて鶴岡さんが「協力してやれ」って言ってくれればこんなことにはならなかったのに
蔭山氏は急死してるからね。その後鶴岡親分が復帰したんんだよ。
鶴岡さんは自分は介入なんてしてないと言ってましたよ。野村さんは監督時代に佐知代さんが選手起用に口を出したり、選手を引っぱたくことを辞めさせなかったことでチームに不信感を抱いていた人もいたと聞くし、ノムさんも悪かったのではないでしょうか?
@@田中陽介-x5q 私は鶴岡さんを慕う子分達が原因とは書いてますが、鶴岡さんの介入のせいなんて書いてませんよ鶴岡さんは自分の影響力のせいで蔭山さんが就任時、鶴岡一派が全然蔭山さんに協力しなくてそれが蔭山さんが気に病む遠因と考え、退任以降は南海に対してあまり関わらないようにしていたと見られます
やはり、60年代後半の球団の戦力が落ち始めた頃に親会社が連続事故で大ピンチになったという点が響いていそうですね(・ω・`)ただでさえ、この頃には南海が非常に強かった関西↔︎四国の輸送についても飛行機を使う方が増えてきた上に国鉄も新幹線+ホーバーで高速化を図って競争力を高めたので一気にシェアが低下していましたし…
ノムさんが解任されてから旧南海球団は低迷する羽目になっちゃったね私は色々有って今のソフトバンクファンになりました。最初は旧🐮←近鉄の事🦁←西武の事🐻←日ハムのファンになりました。📱ソフトバンク前身の福岡ダイエーを引っ括めて
野村克也氏の三冠王は1965年
西鉄ライオンズの黄金期と黒い霧事件の解説をお願いします。
当時はスパイ野球やったから、ノムもあの手この手でサインを考えたりサイン分析係をうまく使ってサイン盗みをやっていた西本阪急もスパイ対策をきっちりやっており、結局その2球団が強かったノムが居なくなってから、スパイ対策が緩くなったんだよね。それで負けるようになった。
南海の野村、はセ・リーグの選手以上に記録を残しているのに何であんなに大阪球場はガラガラなんだろう、と当時思っていた。野村監督兼選手解任以降は、山内トリオ、甲子園等で人気が出た高卒選手を指名しまくったり人気、話題になろうと努力していたように思えた。南海の実在する選手や監督スタッフ関係者等を魅力的に描いた漫画あぶさん、を知ったのは随分後でした。この漫画をもっと早く知りたかったと思った位だった森脇選手はカッコよかった。外国人みたいだったエモヤンの存在は野球界の貴重な語り手と思う。
客席がガラガラなのは、黒い霧の影響です。影響は、凄かったですよ。良くも悪くも、パリーグがテレビで見かけるのは黒い霧関連の時と、オールスター&日シリだけだった。海外のプロスポーツリーグもそうですが、八百長が発覚したリーグはどうしても客足が遠のきますね。イタリアサッカーも、それで凋落した。あれはマフィアが絡んでいるから大変。黒い霧も野球賭博だしね。
@@tommy3431 黒い霧の前から観客動員数は激減してましたよ。
@@akanaokdds7118 そうかー。黒い霧以前は、お客さんがいっぱいいた記憶しかないなぁ・・・黒い霧の影響で客足が遠のいた印象しか無かったもんな。あの頃の野球界。でもさ、当方、宮城県民なので、映画界が斜陽になった事と黒い霧の影響からか、光のスタジアムが無くなったもんでロッテが宮城に来たんだよね。皆で見に行ったなぁ。それは有難かった。宮城球場、常に満員だったよ。外野がw相手もクラウンライター土井とかさ。最強阪急や、南海だとそれこそノムさん。ついでに大型扇風機のジョーンズとかも見れたしで大満足。
60年代までは阪神より人気があり、大阪では人気独占してました。人気無くなったのは、巨人の日テレ全国中継で、世間の関心がセリーグ中心になったのと、元々貧乏で補強できる力が無かったから。あと、西のドンと言われる鶴岡さんがコネで選手を引っ張ってきてたのが、ドラフト制度が始まり、それが出来なくなってしまった等々因みに、長嶋茂雄さんも鶴岡コネクションで南海入団が内定してましたが、本人がどうしても巨人に行きたいと土下座した為、最終的には背中を押したそうです。
森脇さんは監督としてもオリックスを2位に導いたので指導者としての素質はあったのかも。(球界の草刈正雄という愛称もつけられたほどです。)
野村克也監督は、ただ鶴岡監督に褒めて貰いたかった😭それなのに…鶴岡監督は「お前が三冠王はおかしい。カゲが苦労して監督を引き受けようとしたのにまた私と野球をやりたいだなんて私とカゲを馬鹿にしているのか!?」野村監督は今でもこの時に言われたことを忘れられなかったそうです。その後は蔭山監督は体調を崩され死去…ほんの少しのすれ違いがホークス崩壊の原因を作ってしまいました。あまりにも悲しい。
今回尺の都合で鶴岡さんと野村さんの対立の話は入れませんでしたが、この二人のすれ違いがなければ暗黒時代はもっとマシなものになっていたかもしれませんね。
@@ypb7813 間違いないですね。鶴岡監督と野村氏の確執は余りにも深い闇になります。ただ、後任であった蔭山氏が監督になった時にもう少し大切にしていただければ…ホークスは変わった感じがあります。根性の鶴岡、理論の野村、親分の気持ちは分かりますが、感情的にならずに大人の対応をしていただきたかったと私は思いますね。
晩年鶴岡さんは野村の育て方を間違ったと話していました。見た目でボロクソいったけど、プライドが高かったと。
そしてノムさんは阪神時代に今岡の扱い方を間違えたのを悔いる事に
パークスのギャラリーにノムさん関連の展示が無かったのは南海電鉄からのオファーを自ら断ったと南海ホークスの歴史を振り返るドキュメンタリー番組のインタビューでノムさん自身が語られていましたノムさんよりもサッチーの方がノムさんへの仕打ちに怒っていたようでサッチーに気を使っての断りだったとも伝わってますね
2月にカープは寒いから広島ではなく宮崎でキャンプやってるのに、南海は広島の呉でキャンプやってて、あれなら大阪でやっても変わらんと思った。
ノムさんの解任により、江夏さん、柏原さんが、他球団ヘ移籍したのが、南海ホークスの最大のダメージで、弱くなったの一つ。
まだ愛人の存在であったのに監督夫人のように振舞うサッチーの行動が球団、選手も目に余ったんだろうね。大阪球場内の監督室、食堂、ロッカーを闊歩して、選手の夫人を呼び出して面談したりあげくは選手起用にも口を出したりしたらしい。流石に球団もサッチーを取るか南海を取るかをノムさんに迫ったのも当然の事かな。そんな事態でも野村さんにしてみたら「鶴岡元老に吹っ飛ばされた」となるのだろうね。恋は盲目でね。サッチーがもうちょっと奥ゆかしい人だったら南海ホークスや野村さんの野球人生も変わっていたのかもしれない。
サッチーは、ノムが気を使って言えないような言葉を、選手たちに言う立場を買って出たんだよね。ノムの為に。だから、ノムは南海より、サッチーを取ったんだよな。
ノムさんがサッチーに遭遇しなければ、ノムさんの現役時代にもう少し世間のスポットも当たっただろうに…
動画内では触れていないが、南海ホークスの投手として忘れられないのは、若きエース藤田学。当時活躍していた、阪神タイガースの若き主砲掛布雅之と生年月日が同じということで話題にもなった。
たまに、ホークスが里帰りで、鷹の祭典の南海ホークス柄で大阪で主催試合しとるよね
帰って来鷹⚾️
リクエストをお願いいたします。いつかは東北楽天イーグルスの球団創設から初の日本一の解説をお願いいたします。
当時関西の新聞ではパリーグ球団のタダ券をよく配っており、プロ野球見たさに行ってました今みたいに選手の動線が区切られている事も無く、よく直接サインもらってました、野球年鑑に自宅住所も載っておりドラさんから返信来ました笑古き良き時代・・・
リアルでは末期の弱い時期しか知らないけど打者は優秀だったよね。ピッチャーはあかんかったけど・・・・。確かにベイスターズそっくり!
野村克也解任で防御率が格段に高くなった。
門田博光の1988年における40歳44本塁打は早生まれなので実質41歳44本塁打
それでも、41歳でも1シーズン40本塁打は凄い。けど、故・門田博光さんは南海ホークス選手として最後のパ・リーグシーズンMVP受賞者でした。😢
私の知っている限りでは1978年からダイエーになってからも続き1997年まで氷河期だったはずです。
厳密にゃ98年まで。この年同率やけど実質Bクラス(ブルーウェーブとの直接対決で負け越してる)やからね。翌年の日本一でムース(ノムさんの愛称)の呪いは22年で解放。
当時のホークスに暗黒時代へ光が差したのは、1994年度ではないのか?😮当時、ホークスは最終戦まで1977年度以来かつ福岡ダイエーホークス初の「Aクラス」が掛かったからです。😮けど、僅かなゲーム差で4位に終わりました。😢この頃は、リリーフながら10勝を挙げた下柳剛さんや前のソフトバンクホークス監督(ソフトバンク監督としては、南海ホークス出身として初)の藤本博史さんも活躍していました。😮
@@texasmr.そうではないでしょ。近年は直接対決の結果優先ですが、当時は勝利数をセで優先していたから、67勝67敗1分のダイエーと、66勝66敗3分のオリなら、ダイエーに価値がある。勝利数も同じなら、直接対決の結果となるわけで、勝利数より前年順位優先というのがよくわからない。1992年セの巨人阪神2位から6年後、3位タイの事例がこれっきりだから、前年順位優先というのを見直すべきだった。極論2位タイで5球団が並んだらBクラスはないわけだし、1998年のパはBクラスが2球団だったわけだ。1992年阪神は巨人に負け越しているから、勝率、勝利数同じでも、あれは2位タイでなく3位だ。前年順位により巨人を上に阪神を下に表記する2位タイではなく、阪神は3位。引き分けは負けてはないけど勝ってもない。
@@Ie_citoyen-xw2fq しかしその分負け数も多くなる。それが勝率5割、±0や。また、セ・リーグが勝利数が反映されるようになったんは2001年からでこの年は勝利数で順位決めてたがややこしいって不評で結局勝率に戻ったが同率での勝利数は併用され現在に至る。きっかけはジャイアンツが勝利数で上回りながら勝率で下回って優勝逃したシーズンが何回かあったから。
南海ホークス晩年の頃ですが、本田技研からドラフト1位で吉田豊彦投手を指名したのですが「君への評価はドラフト3位だ、その分の金しか出さない」と言い更に資金難である為、分割払いと言われています。なお金を出せない分「監督手形やコーチ手形」を出すことがあり、ドラフト1位で入団した富田勝内野手には監督手形込みの契約をしていた。しかし巨人とのトレードでこの契約も有耶無耶になってしまい引退後は球界から身を引いている。
ノムさんが解任しなかったら南海ホークスの暗黒時代は、なかったんとちゃうか?と思う。
この頃の南海の助っ人外国人の中では王天上が印象に残る。本名はオーテンジオというのだが、王貞治の天よりも上に行くという事で王天上という登録名になった。ちなみに成績は大した事がなかったらしい。
今度リクエストで近鉄平成16年史って言う動画作って欲しいです。
西武が今も球場の立地がとよく言われるわけだけど、難波の一等地過ぎるとこに構えたせいで逆に親会社の儲けに繋がらない大阪球場のことを考えたら無理もないよなあと思う…(近鉄も沿線の藤井寺を捨ててしまったのは大きな要因だったと思う)
1964年は阪神タイガースと日本シリーズを戦い南海が優勝しています。
私が社会人になった昭和46年間、淀屋橋に午後7時開始の試合に7枚(指定席券)回数券で大阪球場に地下鉄で急行。午後7時半頃に球場に着けば、3回ぐらいで勝てそうな試合展開では無かった。飯田・穴吹・杉浦監督時代。
ナイマンとドイルがいた頃のホークスのファンだった。穴吹さんの頃かな?
更新嬉しい!オフシーズンにアップされたり、中日の内部の惨状を予言してたり、もしかして記者とかのガチ関係者?
ゴタゴタ後にチームが低迷。野球界に限らずよく聞く話だろう。
放送権料を釣り上げなかったらホークスのひいてはパ・リーグの運命は変わってたんかなぁ…(一度マスコミに嫌われたら…)
ダイエー編も待ってます!
エモやんがトレードに出されたのは、野村監督に「公私混同を辞めて下さい」と直談判したからだそうですよ。
西岡三四郎も。
よく大阪球場行きました。が、西武戦以外はガラガラでしたねえ。懐かしいです。
なんとなくだが南海ホークスの暗黒期は、ノムさん解任もさることながら、大阪球場に隣接する難波駅の大改造計画も少なからず影響があったのでは?本業である鉄道事業ゆえに仕方がないのだが。まあその影響で大阪球場のレフト及び三塁側スタンドが幾らか改修ぜざるを得なかった訳ですが。
南海対巨人の日本シリーズは64年ではなくて65年66年ですね。
概要欄に修正いれました。 ありがとうございます。
ノムさん(正確に言えばサッチーさん)サイドにも、球団サイドにも言い分があるだろうから、難しいですね。
今度リクエストでプロスピ(据え置き版)全選手覚醒ステータスまとめ動画お待ちしてます❗️
なんばパークスの南海ホークスメモリアルに行きましたがなんばパークス屋上の一角にひっそりとあっていかにホークスが腫れ物扱いされていたかがわかりました。アレで野村監督のものがなかったことを思うとさすがに何ともな気持ちになりました。
野村監督が捨てた前妻は南海電鉄本社の重役の娘だというから南海電鉄本社の怒りは相当だったはず。
そのくせ今更エモやんの働きかけがあったとはいえまたホークスを商売につかってる南海電鉄は気持ち悪いことこの上ない
山本和範 佐々木誠 村田勝喜を忘れてもらってはこまる。
カズ山本は漫画あぶさんで登場して注目された。ヤングサンデーで連載された4コマ漫画の「傷だらけの天使たち」の一コマ漫画に当時、石毛選手が西武ライオンズからダイエーホークスに行った真相のタイトルで、ホークスのスカウトが石毛選手に「うちに来たらあぶさんに出れるよ」と言われて石毛選手は「行く」の即答だった。
急に首にしたらノウハウの引継ぎは難しいですよね。両方の言い分はあると思いますが。後任の監督も現役だった広瀬氏を監督にしたのが失敗の原因かなと思います。本人は準備もしていなかったですし。他球団でコーチをしていたす杉浦氏がなっていれば変わったのかなと思います。
引退即監督はなかなかうまくいきませんよね。広瀬氏の他にも稲尾、長嶋、有藤、高橋由伸など・・・。西武の伊東勤が優勝していますが、ほとんどは厳しい結果に終わっています。個人的には、穴吹二軍監督昇格の目はなかったのかなと思います。
広瀬さんはむしろ被害者ですよね。
@@scrambleavenue 穴吹監督はありだったかもしれないですね。一緒にブレイザーも退団したのでどっちにしても難しかったのかなと思っています。
88年8月大阪球場で南海対近鉄戦を観戦しました先発は南海藤本修二、近鉄村田だったかなお盆休みにもかかわらずガラガラだった確かこの試合0ー0の引き分けだった様な試合は寒かったけど、球場は蒸し暑かった
大阪球場って、もの凄い傾斜が急だなあ。コワイ。
背番号90、屈指の強打者・景浦安武というスラッガーがいたのに打線が弱かったのは(´・ω・`)
ありゃ、設定に浮世離れ感が……福岡移転初年までの代打の切り札としての、と田淵監督就任からの4番打者……こんな選手、実在不可能ですわ。
昭和58年7月小学5年生 大阪在住の伯父に招かれて大阪球場に南海VSロッテを観戦したのが人生初のプロ野球観戦でした。穴吹監督 四番指名打者門田 5番キャッチャー香川 思い出でした
1983年7月1~3日か29~31日の6日のどれかのようですね。先発が誰か覚えていれば日付まで特定できそうですね。
@@ypb7813 2日見に行きました山内新一さんは覚えてます
南海は当初は球団のホークスを売却する時に、売却先の業者を決めてなかったらしい❗只、当時のダイエーが当初は川崎球場を本拠地としていたロッテオリオンズに買収交渉をロッテ側にしていて、そちらのほうが合意に至る予定だった❗が、本格的な買収手続きを前にロッテ側が保留にしたいという回答がダイエーにあった為、ダイエー側が仕方なくにロッテ側の速答を待つ予定だったが、南海球団の窮状を知っていた地元関西の財界から南海を買収するように諭され、急遽ダイエーがホークスを買収する動きになって、1988年のリーグ戦終了を待たずに両者との間で譲渡が成立して、本拠地も大阪から福岡に移ったという事で落着したというワケである‼️
同時に阪急もオリックスに身売りしたので当時としてはダブルショック。ただ阪急はついでにココも身売りせーやと思ってたらホンマに身売りしょった。ホークスは今も健在やがブレーブスは2年で消され現在はバファローズ。
@@texasmr. 当時の阪急としては、南海がホークスの売却を正式にダイエーにお願いしたという一報を入手した時点でブレーブスの売却を決定したそうです❗何せ、創始者の小林一三の娘のご婦人の婿だった公平氏(当時のオーナー)が野球には全く興味なしの人柄でしたから‼️
もしかしてロッテが九州に行った可能性もあるのか…
@@例のアレ-u5w 1984年に今は亡き西鉄(現・埼玉西武)ライオンズの豪腕投手だった稲尾和久氏がロッテの監督に就任した際に、当人が地元が九州(大分出身)で現地に実家があった事から、いずれは福岡へ移したいという思いとロッテ側の創業地である韓国への興行ならではという考えが一致していた為、一時期その計画で動いていたようです!只、ロッテとしても本拠地の移転費をどう捻出するかで戸惑ったという説があり、やむなくこの話は一旦保留になったという形式で凍結したようです!只、ダイエー側はロッテをどうしても買いたかったようでロッテも当時の本拠地だった川崎球場から出たいという思惑があり、それが一致しかけてたのですが、ひょんな事から南海側が大阪・難波の再開発問題が浮上したので当時の本拠地からの退去を市から命じられてたので仕方なく球団を手放したいという申し入れをダイエーにして方針が変わったと一部のメディアで伝えられてますよ‼️
難波という南海以外の鉄道(地下鉄御堂筋線・四つ橋線・千日前線・近鉄・国鉄JR)でも来場出来る場所に本拠地球場を構えたのも失敗の原因だと思います。鉄道会社が球団を持つメリットは、観客が自社鉄道に乗って本拠地球場に行く事で増収に繋げるからなんです。他社鉄道を使われると増収効果は少なくなります。甲子園は阪神電鉄以外では行きにくいですし、西武球場も西武電車で無いと行きにくいです。近鉄バファローズも藤井寺球場時代はそのメリットを充分に活かせてたんですが、大阪ドーム移転によってそのメリットを失って球団消滅に繋がりました。
ロッテオリオンズと千葉ロッテマリーンズの暗黒時代を頼む。
時期がほぼほぼ阪神タイガースの暗黒と被っているところが感じられますね。
福岡移転の話が決まる以前(ダイエーへの身売りの噂は86年ころからあった)は、ダイエーホークスの新本拠地は住之江球場って言われていた時期もありました
中百舌鳥も候補の一つやったとか。
@@texasmr. 「ダイエーが大阪南港にドーム球場建設」説もありましたよね。いずれにしろ、「大阪で存続」が基本線と思われてたので、「福岡移転」が発表された際はショックでした
@@SuperMomonosuke ドームの話は初耳。ただ88年頃、難波再開発のあおりで堺の中百舌鳥へ移転させるっつう話はスポーツ新聞や週ベに載ってた。その直後の身売り話やからね。
福岡移転もしくはグリーンスタジアム神戸を本拠地に構える神戸移転話もありましたね
@@chiyomi_cyoroq 神戸移転やと兵庫に3チームとなるからタイガースが猛反対したやろな。結局ブレーブスがブルーウェーブとなって神戸行ったけどね。
こう見ると誰々のせいとかではなく、はじめから詰んでいたんだなあ
ノムが南海の顔であった事は変わりないが、サッチーの現場介入はいでっちあげと言われてもあのサッチーだからそれはあっただろうなぁとしか思わん😂
球団の親事業が凋落すると資金難から球団も斜陽となるのはあるあるか…今では新聞がそれにあたり中日は暗黒時代、巨人も昔ほど栄華がなくなったように思えます今はIT企業時代だけど楽天とかも携帯電話事業が泥舟化しそうで果たしてどうなるか
南海は、なんば再開発で、大阪球場無くなる噂からの、身売り話あったみたいですが、いかんせん、小学生やったから、わからん‥
もしも 長嶋さんがホークスに 入っていたら 球界の盟主として 君臨してただろうに
むしろ、身売りが早まった可能性が高い。
この防御率の推移は球界の頭脳ですわ…
19:45 かって最大のライバルとして幾度となく鎬を削った西鉄が去りし平和台に、九州のプロ野球チームとして帰って来たとは皮肉である。
ノムさん解任で暗黒時代に突入した南海ホークスノムさん解任で暗黒時代が終わった阪神タイガース
阪神の暗黒時代の原因はノムさんじゃないよ。むしろノムさんが暗黒時代を終わらせた。
@@shob9448 夜明け前が一番暗い・・
@@shob9448代わって暗黒に突入したんはベイスターズ。
BayStarsがDeNAとなって暗黒抜け出したのと入れ替えがチュニドラ……
野村さんは南海をよく再生したと僕はそう思います川勝オーナー最大の理解者でしたから江夏さん山内新一金城松原さん門田藤原柏原河埜定岡戦力はできました途端の出来事でした
はじめまして。13:10~の順位変動グラフに幾つか間違いがあります。1982年は5位ではなく最下位、1984年は最下位ではなく5位、1985~1986年は二年連続最下位です。
ご連絡ありがとうございます。概要欄に修正を入れました。
まあこの時代のパシフィックは西武ライオンズと阪急ブレーブス以外は悲惨極まる不人気だった。当時の球場、川崎(ロッテ)藤井寺、日生(近鉄)、大阪(南海)なんかわざわざ行きたいところじゃなかった。日ハムは後楽園使ってたけどいつも閑古鳥が泣いていて東京ドームオープンした年にドームに行きたくてもチケットがとれなかったけど日ハム戦のドームのチケットは当日でも取れて友達と初めてドームに入ったのが日ハム戦だった。最新のスタジアムだったけど日ハム戦特有の場末感は否めず雰囲気はいまいちだったな。今はパシフィックはどの球団も努力して垢抜けて洗練されたけど。
阪急も人気無かったけどね。西武の人気は清原フィーバーの頃だけですよ…
南海の河埜さんは巨人の河埜さんの弟さんですね。
ご指摘ありがとうございます。概要欄に修正を入れました。
内野手から中堅手となった際に、攻守交替の全力疾走が印象的⚾️🏃
ノムさん・・・運命のヒトであった・・・
15:02 山内孝徳と山内和宏の通算成績逆ですよ。
概要欄に修正を入れました。ご連絡ありがとうございます。
湯上谷さんもお願いします。
「あぶさん」はこの時代の渋いパリーグの話がとても面白いです。ただ大阪球場の閑古鳥は球団の営業努力でもっとなんとかなったのでは。大阪のど真ん中難波、行くたびに思うんです、「ここにあったのになんで入らなかったんだろうなあ」。
落ち着いて、重要な話が出来る場所‼️南海ホークスの試合 大阪球場⚾️
南海ホークスと、親会社で生みの親・南海電気鉄道との「お金の事情」。1960年代に、南海本線そして高野線で毎年の様に重大インシデントに当たる鉄道事故が発生し、運輸省鉄道局(今の国土交通省鉄道局)から鉄道安全設備の全線設置を早急に進めよと大きなペナルティーが課せられて。そして、必要な費用が何と10年に渡り今の経済水準で数千億円だったとか。元々、企業単体として財政基盤が弱かった南海電気鉄道。もちろん、こんな巨額の資金を自社単独で都合が出来ずに銀行団から融資の連続。そんな状況下、ホークスへの運転資金調達もままならない。それと、創業から電化完成以来長い間鉄道線の電車線電圧が600Vと、路面電車やローカル線並みに低くて高度経済成長期でありながら殺人的な混雑を来して、旧式性能の車両までもフル回転させても6両編成で精一杯。南海電気鉄道は、高性能車両の開発と投入そして電車線昇圧も進めなければならなかった。先の世界大戦前に高架化工事をしていた、大阪球場の眼の前にある南海なんば駅。急速な老朽化で、大規模な改築工事も急務だった。1980年までの長期間に、現在の南海なんば駅へと改築工事は竣工。だが、巨額の有利子負債を抱えてそれを当時は半永久に償還とも。ホークスへ、毎年数十億円も運転資金を調達出来る事もままならず。だから、10年以上極度の困窮を極めた。ダイエーグループへの球団売却、かなりドラスティックに進められて。南海電気鉄道へ、1988年10月末までに譲渡金が振り込まれた直ぐ後に、大阪球場内の仮事務所から福岡市中央区大名のテナントビルへ事務所を移転。大阪球場の運営会社も、スタッフを縮小して存続。ホークスが、1989年に福岡の平和台球場へ本拠地を移転。追って、ようやく南海電気鉄道は新しい車両の投入が出来る様に。5年後の関西国際空港開港を目処に、一気に反転攻勢を賭けたい狙いだった。なんば再開発、その為に実はホークスの売却を密かに思案していたとか。
ノムさんの解任もそうだが、南海電鉄本社の杜撰な金銭管理や、阪神タイガースに人気が集中するからどうしても人気が高まらない。しかも、近鉄・阪急とファンの取り合いだからなあ。だからダイエーの社長である中内功が球団を神戸に置こうとしたが、瀬戸山隆三が反対して、福岡に本拠地を移転させるべきと進言し、その通りになった。結果は、大成功。やはり、阪神地区にあれだけ集中してはいけないわな。
何故、鶴岡監督は野村監督を嫌っていたのでしょうか?野村監督自身、何故だかさっぱりわからない、と生前おっしゃってましたが
鶴岡監督は言うほど野村監督を嫌ってはいなかったかもしれません。ただし、鶴岡監督から野村監督へ放った「三冠王などちゃんちゃらおかしい」発言以後は野村監督がから鶴岡監督を避けるようになってしまい、対話不能になってしまったように感じました。二人とも気難しいところもあり、お互いのコミュニケーションが上手く取れていない印象を受けました。
@@ypb7813教えて頂き、ありがとうございます。確かに『三冠王なんてちゃんちゃらおかしい』と言われたら、鶴岡監督を避ける気持ちも解ります
野村の三冠王を評価していないと感じる一言が師弟関係を壊した訳ですが、選手として全盛期を迎えた野村と比べて満足に投げることもままならなくなった杉浦との対比の中で不憫に思う感情が根本にあり、お酒が引き金を引いたと思っています。
1964年は阪神と日本シリーズで勝ってますよ。翌年の巨人との日本シリーズですね。
最早鉄道会社が、プロ野球球団を持つ時代ではない・・・ということか。(阪神・西武の今後は・・・??)
サッチー問題でノムさんがクビになった77年オフ。直後の78年から86年までの9年間の順位6,5,6,5,6,5,5,6,6どんだけ低空飛行やねん💦
V9ならぬB9、いや、4位もないからC9やね
87年4位、最終年の88年の5位を含めて、近藤某がしたためた作品で目にした記憶が……
80年代はすべてBクラスと大低迷期であった
阪神、ロッテは2位が有りましたがそれに比べてホークス暗黒期は……
そんな変な帽子じゃないぞ!
帽子のマークが 違うよ 正しいのは、NHのロゴです この間違いは、ファンにとっては寂しいです
ロゴは敢えて改変しています。よろしくお願いいたします。m(_ _)m
帽子のロゴ、「Y」「H」って、何の略だ?『NH』だと判るんだが・・・。
ゆっくりのYやねどの球団のロゴにもYを入れています
有名なプロ野球選手も!?あるプロ野球脱税事件をお願いします
ある意味日本シリーズで飛車角落ち(長嶋茂雄欠場、下駄で殴られた王貞治大不振)な上に正捕手の森昌彦が阪神ファンによって破壊された状況で走りまくって掻き回すこともせずただダラダラと試合して負けた事で八百長疑惑(実際男里川事故の隠蔽と賠償金支払いを読売新聞に助けて貰った見返りとして巨人に勝たせる、が条件にあった。)が起き、激怒した阪神ファンが冷房もないショボい特急車で指定席料金までぼったくる南海使うぐらいやったら特急料金払ってでも国鉄使う。国鉄やったら車内でステーキも食えるし。と言って客が国鉄にジャブジャブ逸走したのも球団消滅の一因。そりゃあ料金の要らない新快速は全車冷房付き、快速電車は関西本線電化に呼応してクロスシート車に置き換えた国鉄と非冷房やロングシートの特急車で特急料金ぼったくり運賃自体南海より安い、挙句巨人にわざと負けたらそりゃあ阪和間の客は国鉄使うわ。
著書で 人間力 を力説されていましたが、この点が有って説得力を欠くところだったのが残念だったわ😭
身売りは悪い事ではない。やる気が無い球団や能力の無い球団は身売りするべき。MLBがNPBより市場規模が大きいのはやる気や能力の無い球団が淘汰される事も大きい。
河埜さんは弟です定岡さんは 兄で合ってます
※修正 皆様ご指摘ありがとうございます。
1:20 字幕:野村克也選手の三冠王獲得年は×1964→〇1965
1:28 字幕:×1964→1965
12:25 13:22 読み上げ:×にほんハム→〇にっぽんハム
15:03 字幕:山内和宏と山内孝徳の通算勝敗数が入れ替わっていました。
正しくは山内和宏 97勝111敗 山内孝徳 100勝125敗 でした。
15:35 字幕:河埜敬幸は巨人河埜の弟さんでした。
13:10 字幕:順位変動グラフ 順位に一部間違いがありました。
1982年×5位→〇6位、1984年×6位→〇5位、1985~1986年連続5位→連続6位
山内孝徳の通算成績100勝125敗5Sです。
【南海】
・食費1日500円支給。マックに並んで空腹を満たす選手たち
・暖房設備がなくて火鉢で暖を取る
・アキレス腱を切った門田が担架がないので戸板を外して運ばれる
・タイトル取ったのになぜか年俸ダウン
・改修もされず設備が汚すぎて悪臭立ち込める選手寮
【ダイエー】
・ケータリングにおにぎりとかサンドイッチが出る
・設備がきれいになる
【ソフトバンク】
・スタッフや選手一人につきスマホとタブレットが支給される
・専用アプリで各球団の選手データが見れる
・設備がきれい
・プールやトレーニング施設も付いている総工費60億円の選手寮
追加
亡くなった久保寺が契約更改前だからということを理由に死亡弔慰金をケチろうとした
なんばパークスへのノムさんの展示を強く推進したのが、エモやんだったというのがちょっと泣けるんだよな。
何だかんだ悪口や憎まれ口を言っても南海時代を忘れてなかったんだなと。
巨人でいう所の王・長嶋レベルの人やからな。ノム。
約20年スタメンで、監督兼捕手もやっていたのに
何にも展示されない、存在も無かった事になるのは、やっぱりおかしいよ。
エモはそこが許せなかったのだろう。
なんばパークス開業前々年に沙知代氏の脱税による逮捕を受けてタイガーズ監督辞任してたから、当時はその影響で消されてたのかと思ってた……まぁ自分の感覚からしたらタイガーズのユニホームの方がどうしても先に来てしまう
死後、神格化されている野村氏は間違い無く野球人としては偉人の一人だと思うが、最愛の妻が自らの最大の汚点であったり、プロでありながら息子への特別待遇を最後までやめなかったりと、沙知代氏・家族絡みの犯罪行為と公私混同は目に余る野球人生でもあった。結局、南海追放処分から最後の球団楽天までこの部分に関して襟を正したり、己を省みる事がなかったというのがあらためて分かる。
@@ゴンベエ-c1l エモい話ですな
確かに、江本孟紀さんの活躍させた契機が、故・野村克也さんとは。😮
大阪球場最後の試合後、杉浦監督の淡々とした口調での、行ってまいります、は今思い出しても泣ける。
鶴岡御大が杉浦ばかり可愛がって、三冠王取った野村に冷淡だったのも南海崩壊の一因。その後、理解者の蔭山さんがいなくなって野村闇落ち
江本はいろいろと賛否両論あるとは思うけど、南海時代のノムさんの栄光をここに残すために動いたのは間違いなく素晴らしい
俺もそう思う、エモやんは良いやつ
同感です。
私個人は江本氏にはイマイチ好感は持てませんが、この事と独立リーグのチームへの関わりは素晴らしいと思います。
ノムさんが前妻と鶴岡の家に正月のあいさつに行ったら男物の靴がいっぱいあって、中でチームメイトが宴会をやっている声が聞こえたから、挨拶の後に鶴岡が「上がってメシくってけ」って言われると思って待ってたら「どうした?帰っていいぞ」って言われてしまって、妻とともに気まずい空気のまま帰った話は胸糞
南海の低迷や消滅の最大の要因は「ノムさんを解任したから」という声が多いだろうが、結局南海本社の杜撰さと金欠が最大の要因だった…
もっと根本的なところだよね
他の関西の私鉄が、大都市同士を結んでいるのに対して、南海は和歌山。
どうしても見劣りする。
@@MrTamoya 徳島連絡と高野山輸送も担ってましたけどね。それでも京阪神輸送と名阪間輸送、伊勢志摩への観光輸送には敵わないですね…
@@MrTamoya 南海は事故の多さでも有名だったもんね…
@@MrTamoya 大阪球場への電車利用が南海より御堂筋線のほうが多かったって聞いたことある
関空もなかった頃の南大阪、和歌山は、どローカルやったし
阪神みたいに観客いっぱい、そして皆阪神電車を利用するっていう好循環が生まれんかった
南海の暗黒時代何となく好きだった。カープファンだけどたまに南海帽かぶってた。バナザードや佐々木誠とかいい選手いたし、カープは同じ貧乏球団ながら黄金時代を迎え南海との選手トレードも割と会った気がする。
水島先生の人気漫画「あぶさん」で南海ホークスを見ていました。現実の暗黒南海ホークスは勝てないだけでなく人気も悲しいほどありませんでした。門田選手だけが浮いているような時代でスタンドはガラガラ、テレビ中継もなくオールスターにも2人ぐらいしか出でいませんでした。今のホークス、今のパリーグの人気が嘘のような時代でした。
大変勉強になりました。
ホークスに限らず、年代により球団の親会社の業種がその時期に勢い有るような業種に移り変わるのは興味深いです。
自分がプロ野球を見始めた80年代には南海の弱さは阪神の暗黒時代並みかそれ以上に弱かった。
当時はFAも無かったから一度弱くなるとチームを立て直すのは難しかった。
まぁFAがあったとしてもお金のない南海が選手を獲得する事はしなかっただろうけど。
水島新司「僕は常々球団経営に熱意のない会社は球界から去って欲しいと思っていましたから、今回の身売りには大賛成です」
確か水島新司とビートたけしが共同出資してホークスを買い取るって話があったんだよなw
水島御大曰く『買えない金額ではなかった』
水島新司が南海ホークスファンで南海ホークス選手が主人公のあぶさんを書いたが主人公の影浦選手が1973年の入団から2009年の引退まで選手としてリアルタイムに書かれて居て南海ホークスの暗黒時代が書かれて居るのでホークスでは数少ない球団史になって居る。
あぶさんが連載終了するまではダイエー ~ソフトバンクはあぶさんの90番はずっと欠番にしてましたね。
漫画のキャラクターの番号を欠番にするなんて、世界的に見ても例が無い。
ホークスの名前も変えてないし、たった2年で名前変えてしまったオリックスとは大違い。
江夏の21球は私はテレビで生中継をみてました。私は幸せ者ですね。
ホークス、福岡に移転しましたが、いまとなってはそのおかげで合併を免れてホークスとして続いているので、ブレーブスファンとしては少し羨ましくなります。
蔭山さんはなぁ・・・南海自体が引き留めるならしっかりサポートしないと。。
事実上、うつ病からの自殺だもん。
野村さんが捻くれる理由の一つであり、悲劇だった。
もし、ご存命だったら、ノムさんと二人三脚で采配振るって居たんじゃないか
と思うとホント切なくなる・・・。
鶴岡監督が在任中に、蔭山さんに後任を任せる旨の話を本人にしていなかったのは失策だったと思います。
話す時間は沢山あった筈なのに、それを怠っていたのは謎です。
引継ぎをきちんとせずに南海というチームを放り出したのは、やや自分勝手な判断だったと思わずにはいられません。
鶴岡監督の通算勝率.609は凄い。
あのV9時代の巨人を率いた川上監督ですら.591だから、それを上回っている。
強いて言うなら、森監督の西武時代限定なら.644だから、遥かに上でこちらは今後抜くことはほぼ不可能じゃないか。
けれど、森監督は横浜時代が弱すぎて大きく足を引っ張り、それと合算すると.574まで下がる。
漫画「あぶさん」が、最大の出典でしょう。
叔父さんと話していて「南海弱かった」と言ったら向きになって反論された、そりゃ時代が違うとすぐに分かったが😢
大阪球場の暗い便所で💩したのはよい思い出。ノムさんの展示物を見に行きたいが、なんばパークスの上までの行き方が未だによく分からない。
ホビージャパンの「熱闘12球団ペナントレース」で、南海使いでした。
1983年から1989年までの7年間、まさしくこの暗黒時代のオーナーでしたw
でも、門田や久保寺、高柳やナイマンなど、味のあるメンバーが揃っており
また、その弱さゆえに愛着のあるチームでした。
お陰で、今の強豪ソフトバンクの方が違和感があるくらいですw
南海が弱くなったのは鶴岡さんを慕う子分達が原因だよ
鶴岡さんが退任したら蔭山さん、ノムさんに協力しないし
ノムさんが監督在任中はことある事に反発して邪魔してきて
それで邪魔だったノムさんを追い出して何人か監督をやったけど
野球に対して何も考え無しだったのと南海球団が出資しなかったから何も出来ないまま球団売却
せめて鶴岡さんが「協力してやれ」って言ってくれればこんなことにはならなかったのに
蔭山氏は急死してるからね。
その後鶴岡親分が復帰したんんだよ。
鶴岡さんは自分は介入なんてしてないと言ってましたよ。野村さんは監督時代に佐知代さんが選手起用に口を出したり、選手を引っぱたくことを辞めさせなかったことでチームに不信感を抱いていた人もいたと聞くし、ノムさんも悪かったのではないでしょうか?
@@田中陽介-x5q
私は鶴岡さんを慕う子分達が原因とは書いてますが、鶴岡さんの介入のせいなんて書いてませんよ
鶴岡さんは自分の影響力のせいで蔭山さんが就任時、鶴岡一派が全然蔭山さんに協力しなくて
それが蔭山さんが気に病む遠因と考え、退任以降は南海に対してあまり関わらないようにしていたと見られます
やはり、60年代後半の
球団の戦力が落ち始めた頃に
親会社が連続事故で大ピンチになった
という点が響いていそうですね(・ω・`)
ただでさえ、この頃には
南海が非常に強かった
関西↔︎四国の輸送についても
飛行機を使う方が増えてきた上に
国鉄も新幹線+ホーバーで
高速化を図って競争力を高めたので
一気にシェアが低下していましたし…
ノムさんが解任
されてから
旧南海球団は
低迷する羽目に
なっちゃったね
私は色々有って
今の
ソフトバンク
ファンになりました。
最初は
旧🐮←近鉄の事
🦁←西武の事
🐻←日ハムの
ファンになりました。
📱ソフトバンク
前身の福岡ダイエーを
引っ括めて
野村克也氏の三冠王は1965年
西鉄ライオンズの黄金期と黒い霧事件の解説をお願いします。
当時はスパイ野球やったから、ノムもあの手この手でサインを考えたり
サイン分析係をうまく使ってサイン盗みをやっていた
西本阪急もスパイ対策をきっちりやっており、結局その2球団が強かった
ノムが居なくなってから、スパイ対策が緩くなったんだよね。それで負けるようになった。
南海の野村、はセ・リーグの選手以上に記録を残しているのに何であんなに大阪球場はガラガラなんだろう、と当時思っていた。野村監督兼選手解任以降は、山内トリオ、甲子園等で人気が出た高卒選手を指名しまくったり人気、話題になろうと努力していたように思えた。
南海の実在する選手や監督スタッフ関係者等を魅力的に描いた漫画あぶさん、を知ったのは随分後でした。この漫画をもっと早く知りたかったと思った位だった
森脇選手はカッコよかった。外国人みたいだった
エモヤンの存在は野球界の貴重な語り手と思う。
客席がガラガラなのは、黒い霧の影響です。影響は、凄かったですよ。
良くも悪くも、パリーグがテレビで見かけるのは黒い霧関連の時と、オールスター&日シリだけだった。
海外のプロスポーツリーグもそうですが、八百長が発覚したリーグはどうしても客足が遠のきますね。
イタリアサッカーも、それで凋落した。あれはマフィアが絡んでいるから大変。黒い霧も野球賭博だしね。
@@tommy3431
黒い霧の前から観客動員数は激減してましたよ。
@@akanaokdds7118 そうかー。
黒い霧以前は、お客さんがいっぱいいた記憶しかないなぁ・・・
黒い霧の影響で客足が遠のいた印象しか無かったもんな。あの頃の野球界。
でもさ、当方、宮城県民なので、
映画界が斜陽になった事と黒い霧の影響からか、光のスタジアムが無くなったもんで
ロッテが宮城に来たんだよね。皆で見に行ったなぁ。それは有難かった。
宮城球場、常に満員だったよ。外野がw
相手もクラウンライター土井とかさ。最強阪急や、南海だとそれこそノムさん。
ついでに大型扇風機のジョーンズとかも見れたしで大満足。
60年代までは阪神より人気があり、大阪では人気独占してました。
人気無くなったのは、巨人の日テレ全国中継で、世間の関心がセリーグ中心になったのと、元々貧乏で補強できる力が無かったから。
あと、西のドンと言われる鶴岡さんがコネで選手を引っ張ってきてたのが、ドラフト制度が始まり、それが出来なくなってしまった等々
因みに、長嶋茂雄さんも鶴岡コネクションで南海入団が内定してましたが、本人がどうしても巨人に行きたいと土下座した為、最終的には背中を押したそうです。
森脇さんは監督としてもオリックスを2位に導いたので指導者としての素質はあったのかも。(球界の草刈正雄という愛称もつけられたほどです。)
野村克也監督は、ただ鶴岡監督に褒めて貰いたかった😭
それなのに…鶴岡監督は「お前が三冠王はおかしい。カゲが苦労して監督を引き受けようとしたのにまた私と野球をやりたいだなんて私とカゲを馬鹿にしているのか!?」
野村監督は今でもこの時に言われたことを忘れられなかったそうです。
その後は蔭山監督は体調を崩され死去…
ほんの少しのすれ違いがホークス崩壊の原因を作ってしまいました。
あまりにも悲しい。
今回尺の都合で鶴岡さんと野村さんの対立の話は入れませんでしたが、この二人のすれ違いがなければ暗黒時代はもっとマシなものになっていたかもしれませんね。
@@ypb7813
間違いないですね。
鶴岡監督と野村氏の確執は余りにも深い闇になります。
ただ、後任であった蔭山氏が監督になった時にもう少し大切にしていただければ…
ホークスは変わった感じがあります。
根性の鶴岡、理論の野村、
親分の気持ちは分かりますが、感情的にならずに大人の対応をしていただきたかったと私は思いますね。
晩年鶴岡さんは野村の育て方を間違ったと話していました。見た目でボロクソいったけど、プライドが高かったと。
そしてノムさんは阪神時代に今岡の扱い方を間違えたのを悔いる事に
パークスのギャラリーにノムさん関連の展示が無かったのは南海電鉄からのオファーを自ら断ったと南海ホークスの歴史を振り返るドキュメンタリー番組のインタビューでノムさん自身が語られていました
ノムさんよりもサッチーの方がノムさんへの仕打ちに怒っていたようでサッチーに気を使っての断りだったとも伝わってますね
2月にカープは寒いから広島ではなく宮崎でキャンプやってるのに、南海は広島の呉でキャンプやってて、あれなら大阪でやっても変わらんと思った。
ノムさんの解任により、江夏さん、柏原さんが、他球団ヘ移籍したのが、南海ホークスの最大のダメージで、弱くなったの一つ。
まだ愛人の存在であったのに監督夫人のように振舞うサッチーの行動が球団、選手も目に余ったんだろうね。
大阪球場内の監督室、食堂、ロッカーを闊歩して、選手の夫人を呼び出して面談したりあげくは選手起用にも
口を出したりしたらしい。流石に球団もサッチーを取るか南海を取るかをノムさんに迫ったのも当然の事かな。
そんな事態でも野村さんにしてみたら「鶴岡元老に吹っ飛ばされた」となるのだろうね。
恋は盲目でね。サッチーがもうちょっと奥ゆかしい人だったら南海ホークスや野村さんの野球人生も変わっていたのかもしれない。
サッチーは、ノムが気を使って言えないような言葉を、
選手たちに言う立場を買って出たんだよね。ノムの為に。
だから、ノムは南海より、サッチーを取ったんだよな。
ノムさんがサッチーに遭遇しなければ、ノムさんの現役時代にもう少し世間のスポットも当たっただろうに…
動画内では触れていないが、南海ホークスの投手として忘れられないのは、若きエース藤田学。当時活躍していた、阪神タイガースの若き主砲掛布雅之と生年月日が同じということで話題にもなった。
たまに、ホークスが里帰りで、
鷹の祭典の南海ホークス柄で大阪で主催試合しとるよね
帰って来鷹⚾️
リクエストをお願いいたします。
いつかは東北楽天イーグルスの
球団創設から初の日本一の
解説をお願いいたします。
当時関西の新聞ではパリーグ球団のタダ券をよく配っており、プロ野球見たさに行ってました
今みたいに選手の動線が区切られている事も無く、よく直接サインもらってました、野球年鑑に自宅住所も載っておりドラさんから返信来ました笑
古き良き時代・・・
リアルでは末期の弱い時期しか知らないけど打者は優秀だったよね。
ピッチャーはあかんかったけど・・・・。
確かにベイスターズそっくり!
野村克也解任で防御率が格段に高くなった。
門田博光の1988年における40歳44本塁打は
早生まれなので実質41歳44本塁打
それでも、41歳でも1シーズン40本塁打は凄い。
けど、故・門田博光さんは南海ホークス選手として最後のパ・リーグシーズンMVP受賞者でした。😢
私の知っている限りでは1978年からダイエーになってからも続き1997年まで氷河期だったはずです。
厳密にゃ98年まで。この年同率やけど実質Bクラス(ブルーウェーブとの直接対決で負け越してる)やからね。翌年の日本一でムース(ノムさんの愛称)の呪いは22年で解放。
当時のホークスに暗黒時代へ光が差したのは、1994年度ではないのか?😮
当時、ホークスは最終戦まで1977年度以来かつ福岡ダイエーホークス初の「Aクラス」が掛かったからです。😮
けど、僅かなゲーム差で4位に終わりました。😢
この頃は、リリーフながら10勝を挙げた下柳剛さんや前のソフトバンクホークス監督(ソフトバンク監督としては、南海ホークス出身として初)の藤本博史さんも活躍していました。😮
@@texasmr.
そうではないでしょ。
近年は直接対決の結果優先ですが、当時は勝利数をセで優先していたから、67勝67敗1分のダイエーと、66勝66敗3分のオリなら、ダイエーに価値がある。勝利数も同じなら、直接対決の結果となるわけで、勝利数より前年順位優先というのがよくわからない。1992年セの巨人阪神2位から6年後、3位タイの事例が
これっきりだから、前年順位優先というのを見直すべきだった。極論2位タイで5球団が並んだらBクラスはないわけだし、1998年のパはBクラスが2球団だったわけだ。1992年阪神は巨人に負け越しているから、勝率、勝利数同じでも、あれは2位タイでなく3位だ。前年順位により巨人を上に阪神を下に表記する2位タイではなく、阪神は3位。引き分けは負けてはないけど勝ってもない。
@@Ie_citoyen-xw2fq しかしその分負け数も多くなる。それが勝率5割、±0や。また、セ・リーグが勝利数が反映されるようになったんは2001年からでこの年は勝利数で順位決めてたがややこしいって不評で結局勝率に戻ったが同率での勝利数は併用され現在に至る。きっかけはジャイアンツが勝利数で上回りながら勝率で下回って優勝逃したシーズンが何回かあったから。
南海ホークス晩年の頃ですが、本田技研からドラフト1位で吉田豊彦投手を指名したのですが「君への評価はドラフト3位だ、その分の金しか出さない」と言い更に資金難である為、分割払いと言われています。なお金を出せない分「監督手形やコーチ手形」を出すことがあり、ドラフト1位で入団した富田勝内野手には監督手形込みの契約をしていた。しかし巨人とのトレードでこの契約も有耶無耶になってしまい引退後は球界から身を引いている。
ノムさんが解任しなかったら南海ホークスの暗黒時代は、なかったんとちゃうか?と思う。
この頃の南海の助っ人外国人の中では王天上が印象に残る。
本名はオーテンジオというのだが、王貞治の天よりも上に行くという事で王天上という登録名になった。ちなみに成績は大した事がなかったらしい。
今度リクエストで近鉄平成16年史って言う動画作って欲しいです。
西武が今も球場の立地がとよく言われるわけだけど、難波の一等地過ぎるとこに構えたせいで逆に親会社の儲けに繋がらない大阪球場のことを考えたら無理もないよなあと思う…(近鉄も沿線の藤井寺を捨ててしまったのは大きな要因だったと思う)
1964年は阪神タイガースと日本シリーズを戦い南海が優勝しています。
私が社会人になった昭和46年間、淀屋橋に午後7時開始の試合に7枚(指定席券)回数券で
大阪球場に地下鉄で急行。
午後7時半頃に球場に着けば、
3回ぐらいで勝てそうな試合展開では無かった。
飯田・穴吹・杉浦監督時代。
ナイマンとドイルがいた頃のホークスのファンだった。穴吹さんの頃かな?
更新嬉しい!
オフシーズンにアップされたり、中日の内部の惨状を予言してたり、もしかして記者とかのガチ関係者?
ゴタゴタ後にチームが低迷。野球界に限らずよく聞く話だろう。
放送権料を釣り上げなかったらホークスのひいてはパ・リーグの運命は変わってたんかなぁ…(一度マスコミに嫌われたら…)
ダイエー編も待ってます!
エモやんがトレードに出されたのは、野村監督に「公私混同を辞めて下さい」と直談判したからだそうですよ。
西岡三四郎も。
よく大阪球場行きました。が、西武戦以外はガラガラでしたねえ。懐かしいです。
なんとなくだが南海ホークスの暗黒期は、ノムさん解任もさることながら、大阪球場に隣接する難波駅の大改造計画も少なからず影響があったのでは?本業である鉄道事業ゆえに仕方がないのだが。
まあその影響で大阪球場のレフト及び三塁側スタンドが幾らか改修ぜざるを得なかった訳ですが。
南海対巨人の日本シリーズは64年ではなくて65年66年ですね。
概要欄に修正いれました。 ありがとうございます。
ノムさん(正確に言えばサッチーさん)サイドにも、球団サイドにも言い分があるだろうから、難しいですね。
今度リクエストでプロスピ(据え置き版)全選手覚醒ステータスまとめ動画お待ちしてます❗️
なんばパークスの南海ホークスメモリアルに行きましたがなんばパークス屋上の一角にひっそりとあっていかにホークスが腫れ物扱いされていたかがわかりました。アレで野村監督のものがなかったことを思うとさすがに何ともな気持ちになりました。
野村監督が捨てた前妻は南海電鉄本社の重役の娘だというから
南海電鉄本社の怒りは相当だったはず。
そのくせ今更エモやんの働きかけがあったとはいえまたホークスを商売につかってる南海電鉄は気持ち悪いことこの上ない
山本和範 佐々木誠 村田勝喜を忘れてもらってはこまる。
カズ山本は漫画あぶさんで登場して注目された。ヤングサンデーで連載された4コマ漫画の「傷だらけの天使たち」の一コマ漫画に当時、石毛選手が西武ライオンズからダイエーホークスに行った真相のタイトルで、ホークスのスカウトが石毛選手に「うちに来たらあぶさんに出れるよ」と言われて石毛選手は「行く」の即答だった。
急に首にしたらノウハウの引継ぎは難しいですよね。両方の言い分はあると思いますが。後任の監督も現役だった広瀬氏を監督にしたのが失敗の原因かなと思います。本人は準備もしていなかったですし。他球団でコーチをしていたす杉浦氏がなっていれば変わったのかなと思います。
引退即監督はなかなかうまくいきませんよね。
広瀬氏の他にも稲尾、長嶋、有藤、高橋由伸など・・・。
西武の伊東勤が優勝していますが、ほとんどは厳しい結果に終わっています。
個人的には、穴吹二軍監督昇格の目はなかったのかなと思います。
広瀬さんはむしろ被害者ですよね。
@@scrambleavenue 穴吹監督はありだったかもしれないですね。一緒にブレイザーも退団したのでどっちにしても難しかったのかなと思っています。
88年8月大阪球場で南海対近鉄戦を観戦しました先発は南海藤本修二、近鉄村田だったかな
お盆休みにもかかわらずガラガラだった
確かこの試合0ー0の引き分けだった様な
試合は寒かったけど、球場は蒸し暑かった
大阪球場って、もの凄い傾斜が急だなあ。コワイ。
背番号90、屈指の強打者・景浦安武というスラッガーがいたのに打線が弱かったのは(´・ω・`)
ありゃ、設定に浮世離れ感が……
福岡移転初年までの代打の切り札としての、と田淵監督就任からの4番打者……
こんな選手、実在不可能ですわ。
昭和58年7月小学5年生 大阪在住の伯父に招かれて大阪球場に南海VSロッテを観戦したのが人生初のプロ野球観戦でした。
穴吹監督 四番指名打者門田 5番キャッチャー香川 思い出でした
1983年7月1~3日か29~31日の6日のどれかのようですね。先発が誰か覚えていれば日付まで特定できそうですね。
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2日見に行きました
山内新一さんは覚えてます
南海は当初は球団のホークスを売却する時に、売却先の業者を決めてなかったらしい❗只、当時のダイエーが当初は川崎球場を本拠地としていたロッテオリオンズに買収交渉をロッテ側にしていて、そちらのほうが合意に至る予定だった❗が、本格的な買収手続きを前にロッテ側が保留にしたいという回答がダイエーにあった為、ダイエー側が仕方なくにロッテ側の速答を待つ予定だったが、南海球団の窮状を知っていた地元関西の財界から南海を買収するように諭され、急遽ダイエーがホークスを買収する動きになって、1988年のリーグ戦終了を待たずに両者との間で譲渡が成立して、本拠地も大阪から福岡に移ったという事で落着したというワケである‼️
同時に阪急もオリックスに身売りしたので当時としてはダブルショック。ただ阪急はついでにココも身売りせーやと思ってたらホンマに身売りしょった。ホークスは今も健在やがブレーブスは2年で消され現在はバファローズ。
@@texasmr. 当時の阪急としては、南海がホークスの売却を正式にダイエーにお願いしたという一報を入手した時点でブレーブスの売却を決定したそうです❗何せ、創始者の小林一三の娘のご婦人の婿だった公平氏(当時のオーナー)が野球には全く興味なしの人柄でしたから‼️
もしかしてロッテが九州に行った可能性もあるのか…
@@例のアレ-u5w 1984年に今は亡き西鉄(現・埼玉西武)ライオンズの豪腕投手だった稲尾和久氏がロッテの監督に就任した際に、当人が地元が九州(大分出身)で現地に実家があった事から、いずれは福岡へ移したいという思いとロッテ側の創業地である韓国への興行ならではという考えが一致していた為、一時期その計画で動いていたようです!只、ロッテとしても本拠地の移転費をどう捻出するかで戸惑ったという説があり、やむなくこの話は一旦保留になったという形式で凍結したようです!只、ダイエー側はロッテをどうしても買いたかったようでロッテも当時の本拠地だった川崎球場から出たいという思惑があり、それが一致しかけてたのですが、ひょんな事から南海側が大阪・難波の再開発問題が浮上したので当時の本拠地からの退去を市から命じられてたので仕方なく球団を手放したいという申し入れをダイエーにして方針が変わったと一部のメディアで伝えられてますよ‼️
難波という南海以外の鉄道(地下鉄御堂筋線・四つ橋線・千日前線・近鉄・国鉄JR)でも来場出来る場所に本拠地球場を構えたのも失敗の原因だと思います。
鉄道会社が球団を持つメリットは、観客が自社鉄道に乗って本拠地球場に行く事で増収に繋げるからなんです。他社鉄道を使われると増収効果は少なくなります。
甲子園は阪神電鉄以外では行きにくいですし、西武球場も西武電車で無いと行きにくいです。
近鉄バファローズも藤井寺球場時代はそのメリットを充分に活かせてたんですが、大阪ドーム移転によってそのメリットを失って球団消滅に繋がりました。
ロッテオリオンズと千葉ロッテマリーンズの暗黒時代を頼む。
時期がほぼほぼ阪神タイガースの暗黒と被っているところが感じられますね。
福岡移転の話が決まる以前(ダイエーへの身売りの噂は86年ころからあった)は、ダイエーホークスの新本拠地は住之江球場って言われていた時期もありました
中百舌鳥も候補の一つやったとか。
@@texasmr. 「ダイエーが大阪南港にドーム球場建設」説もありましたよね。いずれにしろ、「大阪で存続」が基本線と思われてたので、「福岡移転」が発表された際はショックでした
@@SuperMomonosuke ドームの話は初耳。ただ88年頃、難波再開発のあおりで堺の中百舌鳥へ移転させるっつう話はスポーツ新聞や週ベに載ってた。その直後の身売り話やからね。
福岡移転もしくはグリーンスタジアム神戸を本拠地に構える神戸移転話もありましたね
@@chiyomi_cyoroq 神戸移転やと兵庫に3チームとなるからタイガースが猛反対したやろな。結局ブレーブスがブルーウェーブとなって神戸行ったけどね。
こう見ると誰々のせいとかではなく、はじめから詰んでいたんだなあ
ノムが南海の顔であった事は変わりないが、サッチーの現場介入はいでっちあげと言われてもあのサッチーだからそれはあっただろうなぁとしか思わん😂
球団の親事業が凋落すると
資金難から球団も斜陽となるのはあるあるか…
今では新聞がそれにあたり
中日は暗黒時代、巨人も昔ほど栄華がなくなったように思えます
今はIT企業時代だけど
楽天とかも携帯電話事業が泥舟化しそうで果たしてどうなるか
南海は、なんば再開発で、大阪球場無くなる噂からの、身売り話あったみたいですが、いかんせん、小学生やったから、わからん‥
もしも 長嶋さんが
ホークスに 入っていたら 球界の盟主として 君臨してただろうに
むしろ、身売りが早まった可能性が高い。
この防御率の推移は球界の頭脳ですわ…
19:45 かって最大のライバルとして幾度となく鎬を削った西鉄が去りし平和台に、九州のプロ野球チームとして帰って来たとは皮肉である。
ノムさん解任で暗黒時代に突入した南海ホークス
ノムさん解任で暗黒時代が終わった阪神タイガース
阪神の暗黒時代の原因はノムさんじゃないよ。むしろノムさんが暗黒時代を終わらせた。
@@shob9448 夜明け前が一番暗い・・
@@shob9448代わって暗黒に突入したんはベイスターズ。
BayStarsがDeNAとなって暗黒抜け出したのと入れ替えがチュニドラ……
野村さんは南海をよく再生したと僕はそう思います川勝オーナー最大の理解者でしたから江夏さん山内新一金城松原さん門田藤原柏原河埜定岡戦力はできました途端の出来事でした
はじめまして。
13:10~の順位変動グラフに幾つか間違いがあります。
1982年は5位ではなく最下位、1984年は最下位ではなく5位、1985~1986年は二年連続最下位です。
ご連絡ありがとうございます。概要欄に修正を入れました。
まあこの時代のパシフィックは西武ライオンズと阪急ブレーブス以外は悲惨極まる不人気だった。
当時の球場、川崎(ロッテ)藤井寺、日生(近鉄)、大阪(南海)なんかわざわざ行きたいところじゃなかった。
日ハムは後楽園使ってたけどいつも閑古鳥が泣いていて東京ドームオープンした年にドームに行きたくてもチケットがとれなかったけど日ハム戦のドームのチケットは当日でも取れて友達と初めてドームに入ったのが日ハム戦だった。
最新のスタジアムだったけど日ハム戦特有の場末感は否めず雰囲気はいまいちだったな。
今はパシフィックはどの球団も努力して垢抜けて洗練されたけど。
阪急も人気無かったけどね。
西武の人気は清原フィーバーの頃だけですよ…
南海の河埜さんは巨人の河埜さんの弟さんですね。
ご指摘ありがとうございます。概要欄に修正を入れました。
内野手から中堅手となった際に、攻守交替の全力疾走が印象的⚾️🏃
ノムさん・・・運命のヒトであった・・・
15:02 山内孝徳と山内和宏の通算成績逆ですよ。
概要欄に修正を入れました。ご連絡ありがとうございます。
湯上谷さんもお願いします。
「あぶさん」はこの時代の渋いパリーグの話がとても面白いです。ただ大阪球場の閑古鳥は球団の営業努力でもっとなんとかなったのでは。大阪のど真ん中難波、行くたびに思うんです、「ここにあったのになんで入らなかったんだろうなあ」。
落ち着いて、重要な話が出来る場所‼️
南海ホークスの試合 大阪球場⚾️
南海ホークスと、親会社で生みの親・南海電気鉄道との「お金の事情」。
1960年代に、南海本線そして高野線で毎年の様に重大インシデントに当たる鉄道事故が発生し、運輸省鉄道局(今の国土交通省鉄道局)から鉄道安全設備の全線設置を早急に進めよと大きなペナルティーが課せられて。
そして、必要な費用が何と10年に渡り今の経済水準で数千億円だったとか。
元々、企業単体として財政基盤が弱かった南海電気鉄道。
もちろん、こんな巨額の資金を自社単独で都合が出来ずに銀行団から融資の連続。
そんな状況下、ホークスへの運転資金調達もままならない。
それと、創業から電化完成以来長い間鉄道線の電車線電圧が600Vと、路面電車やローカル線並みに低くて高度経済成長期でありながら殺人的な混雑を来して、旧式性能の車両までもフル回転させても6両編成で精一杯。
南海電気鉄道は、高性能車両の開発と投入そして電車線昇圧も進めなければならなかった。
先の世界大戦前に高架化工事をしていた、大阪球場の眼の前にある南海なんば駅。
急速な老朽化で、大規模な改築工事も急務だった。
1980年までの長期間に、現在の南海なんば駅へと改築工事は竣工。
だが、巨額の有利子負債を抱えてそれを当時は半永久に償還とも。
ホークスへ、毎年数十億円も運転資金を調達出来る事もままならず。
だから、10年以上極度の困窮を極めた。
ダイエーグループへの球団売却、かなりドラスティックに進められて。
南海電気鉄道へ、1988年10月末までに譲渡金が振り込まれた直ぐ後に、大阪球場内の仮事務所から福岡市中央区大名のテナントビルへ事務所を移転。
大阪球場の運営会社も、スタッフを縮小して存続。
ホークスが、1989年に福岡の平和台球場へ本拠地を移転。
追って、ようやく南海電気鉄道は新しい車両の投入が出来る様に。
5年後の関西国際空港開港を目処に、一気に反転攻勢を賭けたい狙いだった。
なんば再開発、その為に実はホークスの売却を密かに思案していたとか。
ノムさんの解任もそうだが、南海電鉄本社の杜撰な金銭管理や、阪神タイガースに人気が集中するからどうしても人気が高まらない。しかも、近鉄・阪急とファンの取り合いだからなあ。だからダイエーの社長である中内功が球団を神戸に置こうとしたが、瀬戸山隆三が反対して、福岡に本拠地を移転させるべきと進言し、その通りになった。結果は、大成功。やはり、阪神地区にあれだけ集中してはいけないわな。
何故、鶴岡監督は野村監督を嫌っていたのでしょうか?野村監督自身、何故だかさっぱりわからない、と生前おっしゃってましたが
鶴岡監督は言うほど野村監督を嫌ってはいなかったかもしれません。ただし、鶴岡監督から野村監督へ放った「三冠王などちゃんちゃらおかしい」発言以後は野村監督がから鶴岡監督を避けるようになってしまい、対話不能になってしまったように感じました。二人とも気難しいところもあり、お互いのコミュニケーションが上手く取れていない印象を受けました。
@@ypb7813教えて頂き、ありがとうございます。確かに『三冠王なんてちゃんちゃらおかしい』と言われたら、鶴岡監督を避ける気持ちも解ります
野村の三冠王を評価していないと感じる一言が師弟関係を壊した訳ですが、選手として全盛期を迎えた野村と比べて満足に投げることもままならなくなった杉浦との対比の中で不憫に思う感情が根本にあり、お酒が引き金を引いたと思っています。
1964年は阪神と日本シリーズで勝ってますよ。翌年の巨人との日本シリーズですね。
最早鉄道会社が、プロ野球球団を持つ時代ではない・・・ということか。(阪神・西武の今後は・・・??)
サッチー問題でノムさんがクビになった77年オフ。
直後の78年から86年までの9年間の順位
6,5,6,5,6,5,5,6,6
どんだけ低空飛行やねん💦
V9ならぬB9、いや、4位もないからC9やね
87年4位、最終年の88年の5位を含めて、近藤某がしたためた作品で目にした記憶が……
80年代はすべてBクラスと大低迷期であった
阪神、ロッテは2位が有りましたがそれに比べてホークス暗黒期は……
そんな変な帽子じゃないぞ!
帽子のマークが 違うよ
正しいのは、NHのロゴです この間違いは、ファンにとっては寂しいです
ロゴは敢えて改変しています。よろしくお願いいたします。m(_ _)m
帽子のロゴ、「Y」「H」って、何の略だ?『NH』だと判るんだが・・・。
ゆっくりのYやね
どの球団のロゴにもYを入れています
有名なプロ野球選手も!?ある
プロ野球脱税事件をお願いします
ある意味日本シリーズで飛車角落ち(長嶋茂雄欠場、下駄で殴られた王貞治大不振)な上に正捕手の森昌彦が阪神ファンによって破壊された状況で走りまくって掻き回すこともせずただダラダラと試合して負けた事で八百長疑惑(実際男里川事故の隠蔽と賠償金支払いを読売新聞に助けて貰った見返りとして巨人に勝たせる、が条件にあった。)が起き、激怒した阪神ファンが
冷房もないショボい特急車で指定席料金までぼったくる南海使うぐらいやったら特急料金払ってでも国鉄使う。国鉄やったら車内でステーキも食えるし。
と言って客が国鉄にジャブジャブ逸走したのも球団消滅の一因。
そりゃあ料金の要らない新快速は全車冷房付き、快速電車は関西本線電化に呼応してクロスシート車に置き換えた国鉄と非冷房やロングシートの特急車で特急料金ぼったくり運賃自体南海より安い、挙句巨人にわざと負けたらそりゃあ阪和間の客は国鉄使うわ。
死後、神格化されている野村氏は間違い無く野球人としては偉人の一人だと思うが、最愛の妻が自らの最大の汚点であったり、プロでありながら息子への特別待遇を最後までやめなかったりと、沙知代氏・家族絡みの犯罪行為と公私混同は目に余る野球人生でもあった。結局、南海追放処分から最後の球団楽天までこの部分に関して襟を正したり、己を省みる事がなかったというのがあらためて分かる。
著書で 人間力 を力説されていましたが、この点が有って説得力を欠くところだったのが残念だったわ😭
身売りは悪い事ではない。
やる気が無い球団や能力の無い球団は身売りするべき。
MLBがNPBより市場規模が大きいのはやる気や能力の無い球団が淘汰される事も大きい。
河埜さんは弟です
定岡さんは 兄で合ってます